カウンセラー紹介

イヌカイ ケン (犬飼 健)

名古屋心理支援研究所 代表 心理カウンセラー

(産業カウンセラー、中小企業診断士)

1980年生まれ 愛知県名古屋市出身

2018年に心理カウンセリングオフィスを開業。

現在は心療内科クリニックで週2日のカウンセリングと
オンラインでのカウンセリングを提供しています。

クリニックではうつ・適応障害、パニック症、強迫症
対人恐怖、あがり症、その他不安に関わる症状から
イライラなど感情との関わり、愛着の問題、グリーフケア等を
担当することが多いです。

カウンセリング実績は2025年5月時点で約1,000件、
(セミナーや公演等の来場者等は含みません。
あくまでもカウンセリングの件数です。)

飛鳥新社から出版されている
『「どうせ私なんて‥‥‥」がなくなる「謙遜さん」の本』
(著・ベスリクリニック院長 田中遥先生、保健師 加藤紘織先生)の
執筆に関してもご協力させていただきました。

詳細なプロフィールについて

正直に言うとあまり詳細な自己紹介を公開するのも迷いました。

カウンセリング・心理セラピーは
人生経験を元に行うものではないですし、
先入観によって治療にマイナスになることもありえるからです。

真面目な心理士・カウンセラーの方は
あえてのせないという方も多いです。

ただ、どんな人物かを知ってから受けたいという声も多いため
興味のある方だけ読んでいただけるよう、
掲載だけしておきました。
(『プロフィール詳細』見出しの▼を押すと開きます)

何卒、ご理解のうえお読みいただけましたら幸いです。

プロフィール詳細

私は30代半ばまでずっと
暗く出口の見えないトンネルの中をさまよっているような人生を生きていました。

最初は21歳の時。
失恋をきっかけに初めてうつになりました。

さらに、失恋のきっかけになった出来事がトラウマになったことで、
その後10年以上恋愛ができなくなり、恋愛以外でも人から拒絶される恐怖
抱えて生きることになりました。

その後、夢であった音楽家を目指して留学するも、帰国後に燃え尽き症候群になり、
続ける自信も持てずに挫折。その後にアルバイトを経て就職するも、

ずっと自分を好きになれず、自分を認めることができず、自分に優しくすることができず
心のなかに重くて黒いカタマリを抱えたまま、うつになったり、持ち直したりを
繰り返す日々を過ごしていました。

気分が落ち込むことがあると、いつも死にたいと思いながら、
死ぬ度胸もない自分をまた嫌いになることの繰り返し…。

そして、30代なかばのある時、仕事のプレッシャーと何年ぶりに勇気を出して
踏み出した恋愛にも失敗したショックでふたたび重度のうつになり、
しばらくの間休職することに。

でも、その経験がその後の人生を変えることになったのが面白いところです。

休職中に受けたカウンセリングがきっかけで、心理学・心理療法に興味を持ち学び始め、
ついにはその知識と自分の経験を活かしてカウンセラーとして独立することに。

かつての自分を同じように自分を嫌い、自分を貶めて、自分をいじめて、
本来持っているはずの可能性を潰してしまっている人を、
過去の呪縛から“自由”になり、未来を“自在”に生きるチカラを培う
カウンセリングを提供しています。

だれにでも本来歩めるはずの本物の人生があります。

人生の限られた時間を不自由なまま消費するのはもったいないこと。
誰にとっても一番勇気がいるのは最初の一歩。

それさえ踏み出してしまえばあとはどんどんと進んでいってしまうものです。

あなたが自由自在に生きられるよう、私は全身全霊でサポートいたします。

ライフストーリー

少々長くなりますが私の人生について書いてみました。
お時間のあるときにお読みくださいませ。

「本当にこの人は自分のことを分かってくれるだろうか?」

そんな心配がやわらげば幸いです。

私の心の苦しみの原点

私の心の底には

「他人より優れていなければ自分に価値はない。」

そんな強烈な思い込み(信念)がずっとありました。

それを抱え込むことになったのは子どもながらに
母親からの期待に懸命に答えようとしていたから。

幼い頃の私にとって母親はものすごく恐い存在でした。

悪いことをしたときだけでなく、習い事で結果が出せなかったときなどにも
怒られ、
体罰を受けました。

幼い私は痛みから自分を守ることに必死でした。

そして、なによりも認めてほしかった、愛されていると実感したかったのです。

大人になり、成長した今では冷静に当時のことを振り返ることができます。

両親のプライベートにも関わるため、ここでは書くことができませんが、
私が小学校に上がる前に両親、私を含むその他の家族にとって、
とてつもなくショックなできごとがありました。

それを境に母の私に対する厳しさは増したように思います。

きっと、そのできごとのせいで私をもっとたくましく育てなければという
プレッシャーを抱えてしまったのだと思います。

でも、幼い私にはそれが分からなかった。

そしてそこから何年も悲しいすれ違いが始まってしまったのです。

つらい気持ちを抱え続けた子ども時代

もともと、私は家で本を読んだりすることが好きなおとなしい子どもでした。
運動は苦手でケンカも強くない。

ところが、入った地元の公立小学校は運動やスポーツのできる子が賞賛され、
人気を得る世界でした。

私の「他人より優れていたい」という気持ちは全く満たされることなく、
逆に劣等感を強めていってしまいました。

でも、母の期待は強くなる一方。

必学期の初めには必ず学級委員になってこいと言われるのです。

自分に人気がないことをよく分かっていた私はすごくイヤだったけど、
それでもがんばって毎回立候補するんです。

で、いつも落選する。

学級委員を選ぶ日には家に帰ってそのことを報告するのがすごく憂うつでした。

だって、落選したことを延々と責められて、

「〇〇さんとこの□□くんは学級委員になったのになんであんたはなれないんだ。」と

自分のダメさをこれでもかと叩きつけられるのです。

本当につらかった、悔しかった、悲しかった。

そんなことがテストの後、習い事の試験の後などことあるごとにありました。

持ちまえの気の弱さが災いして同級生からいじめられたこともあります。
今思い出しても、よく耐えてがんばったなと思います。

満たされない気持ちはやがて反発に

思春期に差し掛かり、身体も大きく成長してくるにつれて、
それまでのつらさや悲しさが全て反発・反抗へと変わっていきました。

それと比例するように劣等感とプライドも大きくなり、この頃には

「自分はなにかで一番にならなくちゃ。そうでなければ生きる価値がない。」
とすら思うように。

だれしもこの時期には反抗期を迎えるものですが、
私はこの反発心が大人になってもずっと抜けなかったんですね。

だから、母が望む公務員のような安定した仕事なんて
絶対つくものかなんていつも思ってました。

“(自分から見た)ふつうの”みんなが行くように大学なんて行きたくなかった。

父が好きなことをやれと言ってくれたことだけが救いでした。

でも、ちょっと平均と違う道を目指したって、
そう簡単にうまくいくわけなかったんです。

それは、結局のところ劣等感から逃れることが目的だったから。

本当に心の底から好きで夢を追うわけじゃないから
エネルギーが持たないんですよね。

だからどこかで燃え尽きたりして挫折を繰り返してしまうんです。

高校のときに演劇部に入ってたから声優も目指したけど、
養成所のオーディションに落ちたらすぐ諦めてしまったし、

今度はミュージシャンになろうとして留学までしたけど、
人前で失敗を見せるのに耐えられなくて断念、

会社員になってもなにかあるとすぐに心が折れてしまい、
あとひと踏ん張りができない…。

そのうえ強い劣等感からくる完璧主義で、
小さなうまくいったことも一切認められないのだから、
心が平気でいられるわけがないですよね…。

はじめてのうつ

きっかけは失恋でした。

もともと大人しく引っ込み思案な性格でしたから、
20歳を過ぎてやっと彼女ができたときには本当にうれしかったんです。

ところが、はじめてのお泊りのときにうまくいかず、
その後何回かしてもできなかったことから、だんだん関係が怪しくなってしまい、
あるとき電話で別れて欲しいと言われてしまいました。

いい年した今ならもっと正直にコミュニケーションをとればよかったのにと思えるのですが、
当時は情けない自分を見せたくなくて、カッコつけようとしてしまったんです。

電話が切れた後、パニックのような状態になりました。

なにをどうしたらいいのかまったく分からなくて、
部屋の中をただ動き回ることしかできない。

泣いたらいいのかなとムリヤリ泣いてみたのですが、まったくスッキリもしない。

そして、だんだんパニックがおさまってくると、
今度は自分はセックスができなかった情けない男だという思い、

そして、だれかからの愛情を得られない価値のない人間なんだという絶望感に襲われて、
なにもする気が起きなくなってしまいました。

失恋というのはだれにとってもショックなことではあります。

大好きだった相手との関係を失うのだからそれは当然のこと。

しかし、私の場合そのショックがもともと持っていた

「自分には価値がない。」という思い込み(信念)に結びついてしまったのです。

それが、私のうつの始まりでした。

カウンセリングを受けてみたけれど

日々のあまりのつらさに調べてみたところ、
どうも自分はうつになったようだということに気づきました。

薬を飲むのは抵抗があったので、カウンセリングを何回か受けてみたのですが、
どうもしっくりきません。

こちらから話さないと何もしゃべってくれないカウンセラーさんで、
挙句の果てには

「うつにはカウンセリングは効かないので病院にいって一生薬を飲みなさい。」と
無茶苦茶なことを言われる始末…。

でも、当時の自分は心理学も生理学もほとんど知らない状態でしたから、
素直にしたがって病院に通ってしばらく薬を飲みました。

そんなに効いている実感はなかったけど、多少はマシになったし、
バイトを変えたりして環境が変わるとだいぶ状態がよくなるので
なんとかやりすごせていました。

でも、薬では自分のもつ考えや思い込みは変わらないことも実感したので、
病院には行かなくなりました。

ある意味では諦めていたんです。
自分のうつは根本的にどうにもならないものなんだって。

そんな状態でサラリーマンとして10年くらい働いていましたが、
相変わらず浮き沈みが激しく、充実感の得られない日常が過ぎていきました。

その間にも何回かカウンセリングを受けてみましたが、
決定的になにかが変わる感覚は得られず、ずっと頭のどこかで

「どうせ自分はうまくいかない。」

「このまま一生が終わるのかな。」

「もう死にたい。」

そんな声が響いていました。

15年ほど経ってふたたびひどいうつに

はじめてうつになったときから15年ほど経ったある日、
私はふたたびひどいうつに襲われました。

奇しくもまたきっかけは失恋でした。

仕事がうまくいかないストレスで弱っていたところに、
それが重なってしまったのです。

十何年ぶりかに本当にがんばってできた恋人だったのですが、
突然その関係も失ってしまったのです。

電話で別れを告げられた次の日の朝、一睡もできないまま会社についた私は、
どうしても仕事に取り掛かれず、先輩と上司に相談して早退し、その足で病院にいきました。

先生からはすぐに仕事を休むよう言われました。

はじめてのうつからなんとかかんとか耐えてきたのですが、
ついに心が限界を迎えてしまったのです。

でも、このときの休職がひとつの転機となりました。

カウンセリングと母への思い

休職のための診断書をもらうために病院には行ったものの、
薬を飲む気にはなりませんでした。

多少気分はマシになるけど、自分の苦しみの本質は変わらないと思ったから。

だから、もう一度だけカウンセリングを受けてみようと思いました。

昔受けた“話を聴くだけ”じゃない、もっと違ったアプローチをしてくれる
カウンセラーさんを探して、わらをも掴む気持ちで
カウンセリングルームのドアを叩きました。

結果から言えばそれが自分の人生を変えたのです。

私の場合は『母との関係』というテーマが分かっていたため、
それを中心にカウンセリングは進んでいきました。

いろいろな取り組みをしてもらいましたが、
特に大きな変容をもたらしてくれたのは空の椅子を使ったワークでした。

椅子に母が座っているとイメージして言いたかったことを言う、
また、母のイメージと重なるように座りその思いを理解してみる、

そんなことを繰り返すワークです。

実はこのワークをしているときやその直後は
そこまでピンときていなかったんです。

なんとなく、まあそんなものかなあと。

ところが、ある日家で母からなにかを言われたとき、
たしか自分に対する何か不満のような内容だったと思います。

そのときに気づいたら口にしていました。

「求められることがずっとつらかった。
僕はただ自分のことを信じて欲しいだけなのに。」
と。

母はそれを聞いて最初は感情的になっていました。

私も興奮状態でしたから、そのまま売り言葉に買い言葉の
ケンカになってしまうかと思ったその直後、
母が自分のことを語ってくれたのです。

自分だって子どもの頃に母親から叩かれたりしてつらかった、
弟ばかりかわいがられてさみしい思いをしたんだと…。

それを聴いた次の瞬間、私の中から母に対する恨みや憎しみ、
そして怒りが抜けていくのが分かりました。

「ああ、この人も同じ苦しみを味わってきたのか…」と。

そして、「それだけ私と同じように自分を追い込んで生きてきたなら、
私が幼いころにあったあのできごとはどれほどの痛みだったのだろうか…」と。

心は仕組み上その人を理解すればするほど嫌うことができなくなっています。

でも、恨みや憎しみ、怒りなどの拒絶感が強いと、
そもそも理解しようという気持ちになれません。

拒絶感を抱えたまま“対決しよう”とか“許そう”と、肩に力が入った状態では
決して得られなかった、それはカウンセリングで取り組んできたことと
偶然のタイミングが奇跡的に重なったことで起こった人生のギフトだったのでしょう。

心の悩みで苦しむ人の本物の人生を取り戻したい

そのことがあってから、数回程度のカウンセリングで順調に回復し、
仕事に復帰することができました。

しかし、それと同時にこれまでの私と同じように、
自分が本当に望む人生を生きることに絶望している人を
サポートしたいという思いがふつふつと湧いてきたのです。

私は仕事をしながら、心理学・心理療法を学び始めました。

学びを進めていくうちに、尊敬する師、かけがえのない仲間とも出会い、
いつも、もの足りなかった人生が満たされていくのを
肌で感じることができるようになったのです。

休職からは脱したものの、まだまだ課題の多かった私の心も、
くわしく心の仕組みを理解し、色々なアプローチを自分自身に試していくことで、
さらに強くしなやかに。

とは言えもちろん私も完璧じゃないし、まだまだ発展途上。

だって人間ですから。

落ち込むことやつらくてしょうがないときもあります。

でも、それを自分でなんとかできる知識と技術と確信があります。

私は今、心の専門家として様々な方のお悩みと日々対峙しています。

自分自身の経験と学びと毎日の研究の積み重ねをもとに

カウンセリングを提供しています。

ここまで私の長い人生を読んでいただいてありがとうございます。

あなたにも自由自在な人生を手にする権利とそのための力があります。

とてもそんなふうに思えないですか?

でもだいじょうぶ。

たまたま運悪くその希望を見失ってしまっただけだから。

希望はなくなったわけじゃありません。
あなたが手を伸ばせば届くところに今もずっとあります。

私は心のプロとしてあなたの力になりたい。

希望をその手に取り戻すための歩みを、
力の限りサポートしたいと真剣に思っています。

あなたが勇気ある一歩を踏み出したカウンセリングの場で
お会いすることができればこれほどうれしいことはありません。

人の悩みは千差万別。

それによってカウンセリングのアプローチ方法や手順も変わってきますし、
かかる時間も違います。

でも、どんな人にも言えるのは、
ほんのひとかけらでも自分の心と向き合おうとする意志さえあれば、
必ず良い方向に向かっていくということ。

私とあなた、お互いの力を発揮しあって本物の人生を創りあげていきましょう。

所有資格

産業カウンセラー

中小企業診断士

NLPマスタープラクティショナー

エモーショナル・リ*バース・セラピー プラクティショナー

受講研修

2022年以前

・ハコミセラピー ワークショップ

・傾聴力ブラッシュアップ講座(産業カウンセラー協会主催)

2023年

・ACTベーシック&アドバンス(講師:早稲田大学 大月友先生)

・進化したゲシュタルト・セラピー(講師:岡田法悦先生)

・認知行動療法における対話(講師:新潟大学 田中恒彦先生)

2024年

・技法以前の治療関係構築のスキルを上げる(講師:京都大学 杉原保史先生)

・現代精神分析の学びと耳の傾け方(講師:京都大学名誉教授 松木邦裕先生)

・フォーカシング&リスニング(講師:関西大学 池見陽先生)

・AEDP JAPAN Level1(オンライン講座)

2025年

・ブリーフセラピー(講師:東北大学 若島孔文先生)